ブログ移転のお知らせ
ももよろずハイパーをご覧いただきありがとうございます。
この度、勝手ながらブログをお引越しすることとなりました。
新しいアドレスはこちらになります。
おでかけももよろず
今後とも楽しい旅日記を発信していきたいと思っております。
お手数ですが、お気に入り(ブックマーク)にご登録いただければうれしいです。
なお、このブログ(ココログ)に掲載した記事は、このまま残す予定ですが、
一部移行作業をしているものがあります。
当面、お見苦しい点もありますがご容赦ください。
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日枝神社から歩いて向かったのは
赤坂氷川神社
地図上では、楽勝と思ったのですが
歩いてみると、坂道もあるしそこそこの距離でした
徒歩で40分近くかかりました~
でも、赤坂の飲食街?を歩いたり、TBSの社屋を眺めたりと
遠回りしていたのかも・・・
氷川神社は、創祀は10世紀頃
1000年近い歴史がある神社です
手水舎
鳥居の扁額
ご祭神は、
素戔嗚尊(スサノオノミコト)
奇稲田姫命(クシイナダヒメノミコト)
大己貴命(オオナムチノミコト 別名・大国主命)
厄除け、良縁、家内安全、商売繁盛にご利益があるそうです
1716年 徳川8代将軍・吉宗が将軍職を継ぐ際に
老中の岡崎城主 水野忠之に命じ、現在地に社殿が建立されました
社殿は、地震や天災を逃れて現存する重要文化財
権現造りかと思ったのですが、彫刻などはほとんどなく
一間社流造という様式だそうです
徳川時代の建物にしては地味にも感じますが
倹約を唱えた吉宗らしい質素な建物です
しかし、総欅づくりの建物は、地味な中にも風格が感じられます
吉宗といえば「暴れん坊将軍」
日本神話でも、スサノオノミコトは暴れん坊でした
(その後、ヤマタノオロチを退治して英雄に・・・)
不思議なつながりに勝手に関心する私
側面にまわって流造を見ようとしましたが、よくわかりません
絵馬も独特な形で奉納されています
境内には、築地塀(ついじべい)が見られました
その奥には、神輿庫もあります
9月に行われる赤坂氷川祭でお神輿が担がれるそうです
境内の一部は、公園のようになっていました
手前には、樹齢400年という天然記念物の大銀杏 奥にはご神木
ここに来る前に歩いた永田町や赤坂の雰囲気とは打って変わって
東京にいることを忘れてしまう静かな空間です
歴史を重ねてたたずむ社殿や木々からもパワーがもらえました
平日の昼下がり、平和すぎる鳩たちにしばらく癒されていたい気分でした
ご朱印はこちら
日枝神社から赤坂氷川神社、そして六本木駅へと歩き
運動不足もちょっぴり解消できたかな?
すっかり都心散歩を楽しんで東京を後にしました
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浅草から向かったのは、
日枝神社(ひえじんじゃ)
東京の名だたる神社のひとつとして名前を知っていた程度ですが
調べるうちにパワースポットとしても人気があるとか・・・
場所が「永田町」にあり「国会議事堂」の近くという
予備知識はありましたが、地下鉄・溜池山王駅を出てビックリ
テレビで見たことがあるような建物
首相官邸です!
2月だったので比較的静かでしたが
今頃(3月入ってから)は、このあたりもなにかと騒がしいようですね
高層の建物は議員会館? 立派ですよね~ (大きなため息)
なんだか、すごいとろに来てしまったようだと気を引き締めつつ
路地を曲がってさらにビックリ
神社らしい緑地と鳥居より、黒い高級車たちに目が留まってしまいます
国会議員など「先生」を待機しているのかな?
心を落ち着けて神社に向かいたいのに・・・なぜかザワザワ、イライラ!?
目的地に到着です
日枝神社の山王鳥居(表参道)
特徴的な鳥居ですね
私が住む地域ではあまり見る機会のないこの鳥居は
数年前に日吉大社でお目にかかって以来です
創祀は、15世紀末に江戸城を築く際に、
太田道灌が川越山王社を江戸の地に勧請したのがはじまりです
比叡山の麓にある日吉大社を本宮とする山王信仰が基になっています
江戸城内を含め何度かの移転を繰り返し、現在の地に落ち着いたのは
4代将軍・家綱の時代
山王男坂の石段を登りきると
神門
石段を登り、朱色の美しい門を見たら心も落ち着きました~
お祀りしているのは
大山咋神(おおやまくひのかみ)
江戸時代には、
「徳川歴朝の産神」、また「江戸郷の総氏神」として崇敬されました
江戸城の守り神でもあり、皇城の鎮といわれる所以です
江戸城の鬼門を守るお寺として
上野の寛永寺と芝の増上寺が創建されたことは知っていますが
さらに鬼門封じとして、日枝神社をここに移したことは初耳でした
風水に基づいていたとすれば、パワースポットにも納得です
縁結びや安産祈願の他、出世運や商売繁盛にもご利益があるそうです
神門の扁額
額の下には菊の御紋もあります
反対側の扁額には、「皇城の鎮」の文字
社殿
東京大空襲により、それまで国宝に指定されていた建物は焼失し
現在の建物は、戦後再建されたものです
社殿の両脇には、狛犬ではなく・・・お猿さんの像があります
日吉(日枝・山王)神社では、
神様のお遣いはお猿さんなのです
(滋賀の日吉大社には、ホンモノのお猿さんがいました)
こちらは向かって左側にいる子どもを抱いた雌猿
その脇には、梅が紅白揃って咲いていました
ご朱印はこちら
ご朱印と一緒に
お猿さんをモチーフにしたしおりと根付けもいただきました
ご朱印をいただいて社殿を振り返ると
平日のお昼休みの時間ということもあり、スーツ姿の方が次々に参拝に・・・
周辺の環境がなんとも緊張を強いられますが(苦笑)
日本国の最高機関が集まる場所にあるパワースポットでもありました
ちなみに私が歩いたルートとは別に
地下鉄出口から神社に向かうエスカレーターがあるそうですよ
もうちょっとぐるりと探検すればよかったかも・・・です
この後は、徒歩で赤坂氷川神社へ向かいます
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浅草寺は昔から知っていましたが、
実は、浅草神社を知ったのはつい最近のこと
さらに・・・下町では有名な「三社祭り」というのが
この浅草神社のお祭りだということも知ったばかりです(>_<)
神社仏閣は大好きな私ですが
なにせ人混みが嫌いなので、
お祭りにはめっぽう疎いですね・・・
というわけで、今回は浅草寺へ行きがてらメインはこちら
浅草神社
お寺は「せんそうじ」ですが、こちらはそのまま「あさくさじんじゃ」と読みます
別名 三社様
浅草寺の本堂(観音堂)から歩くこと1分弱
写真左奥の建物が浅草寺の本堂(観音堂)今まで何度か来ているのに、全然気づいていなかったです
狛犬がなんとも残念なお姿に
浅草神社のご祭神は
・檜前浜成命(ひのくまのはまなりのみこと)
・檜前竹成命(ひのくまのたけなりのみこと)
・土師真中知命(はじのまつちのみこと)
よく耳にする神様の名前ではないようですが
歴史は古く、7世紀前半のこと
漁師をしていた檜前兄弟が、ある日、漁を行っても魚が1匹も獲れず
何度海に戻しても網にかかるのは一体の人形(像)ばかり
これは何かあるかもしれないと持ち帰ったところ
郷土の文化人の土師真中知がこの話を聞いて
これが仏像であることを二人に伝えます
その後、土師真中知は僧となりこの像を祀りました
この像が現在の浅草寺のご本尊 聖観世音菩薩です
そして、聖観世音菩薩を発見し、祀った功労者として
この3名が祀られました
これが三社様(三社権現)といわれる所以です
その後の明治時代の神仏分離で
三社様は三社明神となり、さらにその後、浅草神社と改名しました
拝殿
戦後再建された大きな建物が並ぶ浅草寺に比べると重要文化財に指定されている建物は、
家康ゆかりの権現造りの気配がすると思ったら
やはり・・・
徳川家康も祀られているということです
また、大黒さまと恵比須さま祀られています
建立は1649年
徳川家三代将軍・家光の造営でした
朱塗りといい鮮やかな彩色の彫刻といい、ちょっとおとなしい東照宮
装飾には、龍や麒麟のような
想像上の勇猛な動物の彫刻が多いようです
権現造りと聞くと、幣殿やその奥の本殿もなども見たくなるのですが・・・
透塀からちらりと見えるのみでした~
ところで、国宝や重要文化財の建物付近で見かけるこの看板
いつも日立がスポンサーです
ふと、ヒタチ→ ひ たち → 火 断ち という火除けの
ダジャレも合わせているのかと思ってしまいました
御神木は、槐(えんじゅ)
落葉してしまっていますが・・・説明文によると
中国原産のマメ科の樹木で、高貴な木として珍重されましたが
この境内に自生する槐は、枯れては生え・・・を繰り返しているそうです
こちらでは、ご朱印と一緒にご朱印帳も購入
社紋(三網紋)が刺しゅうされており、色違いで3色(藍色・緑・ピンク)ご朱印はこちら
限定御朱印も多種あるようですが、これは通常版
大きな建造物の立ち並ぶ浅草寺の一角にある
小さな神社ですが
戦災などを免れて江戸時代からたたずむ社殿は
歴史の重みと風格が感じられました
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久しぶりに浅草へ
銀座線を降りて出口へ向かう途中の様子。駅も随分きれいになっています。
漆塗り風の赤と黒を基調にした高級感あるたたずまいです
浅草といえば、東京でも屈指の観光スポットなので
外国人が多いのではないかと心配していきましたが・・・
雷門
人々の様子は加工させていただきますが
立ち止まり撮影する人の8割近くは外国人という感じ
春節が終わったばかりの平日というのに・・・多すぎるゾ
実は、屋根の工事中で、面白い幕が張られていると聞いていたのですが
すっかり修復終わってました~ トホホ (工事中が見たかった・・・)
意外と知られていないのかな? この大提灯は、松下幸之助氏が寄贈
余談ですが、松下電器(Panasonic)は今年で創業100周年
仲見世も朝からすごい人出で、まるで海外にいる気分
食べ歩きや日本らしいおみやげを売るお店が並び、
お詣りよりもこれが楽しみで来ている方も多いと思います
まあ、私も海外に行けば、民芸品の屋台でテンション上がりますけど、ね
進入禁止の標識が侵略されている~~
宝蔵門(仁王門)
このあたりで若干人混みは解消されましたが、日本人比率は少なめ(苦笑)
宝蔵門をくぐると、左手には五重塔
前回、ここを訪れたのは忘れもしない2011年3月
その1週間後に東日本大震災が発生し、
五重塔の上部にある相輪という(金色の)装飾部分が損壊したことを
ニュースで知りました
昨年、やっと修復されたそうです
右手にスカイツリー 伝統建築と近代建築の競演です
余談ですが、芝の増上寺では東京タワーとの競演が見られます
お水舎(手水舎)には、高村光雲 作の沙竭羅(さから)龍王像
浅草寺は、正式には金龍山浅草寺
かつては天台宗に属していたそうですが
現在は聖観音宗の本山となっています
本堂(観音堂)
本堂が大きすぎて写真に収まりません
なので、2009年に撮影した工事中のレアな1枚をどうぞ
この時、瓦の葺き替えが行われ、軽量のチタン瓦になっているそうです
境内の主な建物は第二次世界大戦に焼失し、戦後再建されたものです
観音堂にてお詣り
ご本尊は、秘仏の聖観世音菩薩
キラキラとした祭壇が見える程度で、仏像は見えません
脇に愛染明王と不動明王が安置されていますが、これもよく見えませんでした
本堂の檀上から振り返ってみました
本堂を出て左側に歩いていくと、大きな阿弥陀如来像があります
仏像がじっくり見られて、なんだかホッとしました~
ご朱印をいただくために影向堂へ向かいます
きれいな庭園の池には錦鯉たちが泳いでいます
影向堂(ようごうどう)
この中でご朱印がいただけます
この建物では、生まれ年のご本尊を祀っており
(ご本尊が重複する干支があるため)8体のご本尊が並んでいます
ご朱印を待つ間に、私の守り神 大日如来さまにもしっかりお詣りしました
出口に向かう際、
ご朱印を待つ列に外国人の方が多く並んでいたのが印象的でした
ご朱印はこちら
この後は、浅草神社に向かいます
つづく
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東京大神宮に行ってきました
中部地方に住む私にとっては
あまり耳にしたことがない神社でしたが
東京のお伊勢さまとして
また、縁結びのパワースポットとしても注目されている神社です
飯田橋駅から路地を何本か曲がりながら
ゆるやかな坂道を登って5分ほどで到着
車道に面して鳥居が立っています
伊勢神宮と同じ形式の鳥居です
鳥居をくぐった右側にある手水舎には行列です
周囲を見渡すとほぼ女子、それも若い子ばかりで
オバサンは少々肩身が狭くなってしまいます
境内は広くはなく、すぐに拝殿です
が、ここも行列・・・
もともとは、伊勢まで行かれない人たちのためにと
明治時代に伊勢神宮の遥拝所(ようはいじょ)として
日比谷に造られたのがはじまりだそうですが
関東大震災により社殿消失後、この地に再建されました
お祀りしているのは伊勢神宮と同じく
天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
豊受大神(とようけのおおかみ)
さらに造化の三神(ぞうかのさんしん)が祀られています
天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
高御産巣日神(たかみむすびのかみ)
神産巣日神(かみむすびのかみ)
この造化の三神は、天地万物の生成化育を
司る神であることから「縁結び」にご利益があるそうです
また、日本で最初に神前結婚式が行われた神社であることも
良縁を求める女子たちに人気なのでしょうね
いや~、ホンモノの伊勢神宮(内宮)より並んだかも、私
(2018.1撮影 今年は雨天ということもあり例年よりすいていましたが)
待っている間に拝殿に向かって右側の
ご神木らしき木をバチリとおさめました
後で知りましたが、この写真をスマホなどの待ち受けにすると
ご利益があるそうで・・・
というわけで、商売繁盛につながるご縁を祈願してまいりましたよ~
拝殿横の梅がきれいでした
ご朱印を待つ間にぐるりと見渡すと・・・
女子たちのお目当てはどうやらここらしいです
かわいい御札や御守りももたくさんあるようですが
オバサンは、ご朱印だけいただいて境内を後にしました
お伊勢さんのように朱印と日付のみかと予想していましたが
こちらは、神社名が筆書きされていました
出口付近には
赤福がいただける出店もありましたよ
境内は広くはありませんが、
良縁を求めてたくさんの人が集まる東京のお伊勢さまでした
中部在住の私は、地の利を最大限に活かして
毎年日帰りでお伊勢詣りに行けることを
改めて感謝するべきだと思い直した次第です
東京大神宮
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栃木県宇都宮市の大谷寺に行ってきました
大谷(おおや)石の採石場のある地域にあり、
地下採石場を見学できる大谷資料館からは車で5分ほど
正式には、天開山 大谷寺
こちらでは、日本最古といわれる石仏 大谷観音があります
岩山に飲みこまれるようにお堂が建てられています
建物内は撮影禁止なので写真はありませんが
お堂の中には岩壁に直接彫られた千頭観音がありました
高さ4メートルほどで、実際には手は42本ほど・・・とか
かつては着色されていたようですが
経年とともにその色は褪せ、自然の岩の色に近くなっています
9世紀頃に弘法大師によって彫られたという伝説がありますが
近年の研究で、実際には、アフガニスタンの僧侶によって
彫られたのではないかといわれています
お堂の入口に気になる「三つ葉葵」の幕がありますが・・・
これは、江戸と日光を結ぶ中継地として
徳川家による庇護があったことを象徴しています
隣には脇堂があり、千頭観音よりはひとまわり小さい
釈迦三尊、薬師三尊、阿弥陀三尊が彫られています
立体感や丸みもきれいに再現されていて
大谷石の特徴もよくわかります
石仏はすべて重要文化財に指定されています
境内の外へ出ると、雪と氷に包まれた池
右隅に見える白蛇は
この池に伝わる毒蛇伝説の蛇が、今は心を入れ替えて
弁天様にお仕えしていることをあらわしているそうです
大谷寺は、背後に御止山(おとめやま)と呼ばれる山があります
奇岩と赤松の織りなす風光明媚な山だそうですが
すでに閉山時間になっていて登ることはできませんでした(T_T)
さらに、大谷寺の境内から歩いて2~3分のところにある
平和観音
こちらは戦後に戦没者慰霊と平和を願ってつくられた
高さ27メートルの巨大な観音さまの石像
地元の大工さんが大谷石の山を削り作りはじめた
そうですが、道半ばでギブアップ
その後、東京芸術大学の教授の指揮のもと
6年の歳月をかけて完成したそうです
石をそのまま掘り下げて作られているそうです
周囲は、採石現場の跡も残しています
現在は整備されて公園になっていますが
かつては鉄道も敷設されていて
採掘された大谷石がこの付近から積み込まれ、東京などに運ばれていったそうです
強硬日帰りツアーでしたが
大谷石ワールドを堪能して帰途につきました
大谷寺のご朱印はこちら
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大谷資料館 つづきです
外気温と同じ2℃という坑内を地元のボランティアガイドさんの
案内で進みます
前半のコースは、手掘りの跡が残るエリアでしたが
後半のコースは、機械掘りの跡が見られました
失敗なのか、”職人技”なのか不明な機械堀りの跡
つるはしを使用した人力採掘から
チェーンソーを用いた機械掘りに変わったのは昭和30年代
1日あたりの採石量も2倍以上に増えたそうです
ライトアップされると、掘削の跡もアートになりますね
通路の突き当り(最奥)から入口方向を振り返ってみました
こちらはステージ
演奏会などが行われるステージですが、
この日は登れたので、とりあえず大声を出して反響を試してみました
その奥には、デジタル掛け軸が見られました
冬限定の演出がたくさんあり楽しめましたよ
ギャラリー
石柱と壁面を巧みに利用した展示空間です
1年を通して平均気温は8℃ほど
天然の冷蔵庫としてワイン保管庫はもちろん
かつては政府の貯蔵米の保管庫としても利用されたそうです
この日の気温 2℃
再びデジタル掛け軸 (2018.4.10までの企画)
ギャラリーから見下ろした通路
大型車での搬入も可能な「巨大地下スタジオ」ですね
見学コース最後には、寸法別に切り出した大谷石の実物や
機械などが展示されていました
そして、ウィンタースペシャルがもうもうひとつ
石の華
乾燥した冬だけ、石に含まれる塩分が結晶になって現れる現象
綿のようにフワフワしていました
ここがかつては海の底にあって隆起したことを物語っています
地上に再び戻ると、展示室があります
道具や機械、看板、大谷石でできた瓦なども展示されています
見学を終えて外に出ると、
ROCKSIDE MARKETというおしゃれなショップがありました
おみやげや地元作家さんによる雑貨の販売、カフェも併設されています
坑内の見学は、ガイドさんの案内で1時間くらいでした
今まで、金山や銀山、炭鉱跡などは見たことがありましたが
このような珍しい形で残る採石場は、また独特の趣がありました
この後は、大谷石で掘られた石仏のある大谷寺に向かいます
つづく
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栃木県宇都宮市にある
大谷資料館
大正時代から昭和まで約70年間使用されていた
大谷石(おおやいし)の採石場跡を公開している資料館です
晴天に恵まれた2月に行ってきました
駐車場に着くと、飲みこまれそうな岩山がそびえていました
見学は地下坑内 奥の建物を入り、地下へ進みます
大谷石(おおやいし)は、軽くて加工しやすい石材として
外壁などに使われています
石像を見ると軽石のような雰囲気も・・・
耐火性にもすぐれていた大谷石は
フランク・ロイド設計の東京の帝国ホテルにも使われ
関東大震災、東京大空襲からも耐えた歴史があります
旧帝国ホテル玄関(明治村博物館2015.10撮影)
50段くらい?の階段を下って地下空間へ
そこは地下30メートル、東京ドームがすっぽりおさまる広さの空間
紹介のチラシなどで見るこのショットはは、下りてきた道を振り返ったところ
進行方向は、車も通れるというまっすぐな坂道と見学用通路
この見学コースを
ボランティアガイドさんの案内で見学しました
手掘だった跡がきれいに残る壁を伝って下ります
ライトアップの演出が工夫されています
と思ったらこんな看板があって、ゾクっ
軍需工場や倉庫として使われていた歴史があります
炭鉱や金山には「お約束」のリアルな蝋人形もいます
そんな歴史も今は昔
現在では、ミュージシャンたちのPV(プロモーションビデオ)撮影や
映画撮影にも度々使用されているそうです
こんな看板が随所にあり、ファンにはたまりませんね
ミーハー根性で見学するのも楽しいのですが
技術的なお話もなかなか興味深いのです
そもそも採石したら山ごと削り取ってしまうのが常ですが
大谷石は上層部に「ミソ」という不純物が混じった層があるため
そこを避けながら掘っていく工法が用いられていたそうです
その結果、このような空間が見事に残るんですね
柱と天井を残して交互に掘り進んでいくのだそうです
装飾は、假屋崎省吾さんの作品
採石場ということを忘れされてくれるアート空間です
また「地下神殿」とも称されるそうですが
同じく「地下神殿」の首都圏外郭放水路(埼玉県)は現役の貯水空間
こちらは歴史を終えた採石場の「セカンドライフ」ですね
さらに進んで行くと
冬季限定で公開しているという教会ゾーン
これが見られたのはラッキーでした(2018.2.25で終了)
もちろん実際に使用できる施設です
ただし、ここは外気との温度差が大きいと結露が発生し
水たまりができてしまうので、シーズン限定だそうです
ちなみに、この日の屋外と坑内の気温はピッタリ同じ2℃
しかし、無風状態なので、意外と寒さは感じませんでした
後半、ギャラリーなどまだまだみどころがあります
つづく
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先日、静岡県立美術館での
「戦国 井伊直虎から直政へ」展への帰り道
静岡市内の直虎ゆかりの地
(今川家関連)を
訪ねて来ました
龍雲寺 (りゅううんじ)
曹洞宗の寺院で、正式名称は洞谷山 龍雲寺
このお寺の名前を聞いて、
大河ドラマに出てくる「龍雲丸」(架空の人物ではありますが)を
ついつい連想してしまいました(笑)
本堂
住宅街の中にある地域のお寺さんという風情ですが
今川家の寿桂尼(じゅけいに)の菩提寺でもあります
寿桂尼は、駿河国を治めていた今川氏親の正室
氏親の死後は尼となり
子の氏輝、義元、孫の氏真の代に渡り
今川家の政務を補佐してきたことから
女戦国大名 とも言われてきました
大河ドラマの中では、
浅丘ルリ子さんの不気味さを感じる演技が印象的でした
出生年は不明ですが 推定年齢70~80代のご長寿
本堂の前にある説明看板
このお寺の位置する場所は、
今川館(後の駿府城)の鬼門にあたる場所で
遺言によりここに葬られたそうです
石碑
石碑の上部にある角印のようなものは、
寿桂尼が朱印状に使用していた印をかたどったものです
本堂の裏手にまわると墓地があります
普通の墓地ですが、看板に沿って進むと・・・
ちょっと不安に・・・
先日の「竜宮小僧」は、イノシシの出そうな道でしたが
今度はヘビにでも出くわしそう
私が訪ねたときは、草を刈っていましたので今頃は大丈夫
先客がいらっしゃったので進んでみることにしました
石塔
2つありますが、いずれが寿桂尼のものか定かではないそうです
特に説明書きがあるわけでもなく、
一時は、女戦国大名とも恐れられた寿桂尼が
今川家の菩提寺と離れ、一人ひっそりと眠る場所でした
駐車場は本堂の裏手(墓地の脇)
静岡県立美術館と静岡駅のちょうど中間くらいにあります
年に2回ほど一般公開される今川家の菩提寺 臨済寺も近いので
あわせて訪ねてみるのもオススメです
【ももよろず日記関連記事】
徳川家康が幼少を過ごした臨済寺へ(2015.10)
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