カテゴリー「├ お城・史跡(東北)」の5件の記事

2013年7月19日 (金)

福島の旅8~會津藩校・日新館~

福島の旅、やっといよいよ最終章ですsweat01

会津藩を語る上で重要なスポットとなる藩校です。

日新館

八重のお兄さん覚馬や旦那さん尚之助も
ここで教授をつとめていたため、
大河ドラマでもたびたび登場しているスポットです。

実際に日新館が置かれていたのは
鶴ヶ城からほど近いところだったそうですが
戊辰戦争で焼失してしまいました。

現在は完全復元され、資料館として
市街地から10キロほど離れたところにあります。
(ナビに誤案内されて日新館の山を一回りでしたが・・・)

南門をくぐって入館料(おとな600円)を払って入館。

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ここが入口となる南門

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南門の奥にあるのが、戟門(げきもん)


まずは会津藩とこの日新館のあらましを説明する映像を見て、
館内見学がスタート。
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回廊のようになった校舎では年齢別にクラス分けされ、
礼儀作法から武術、そして専門的な学問が学ばれていました。


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ここに通えるのは、10歳以上の会津藩士の子弟たちで、その数は1000人ほど。
戊辰戦争の悲劇で知られる白虎隊の青年たちもいました。

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天文学の教室のようです。

大成殿と呼ばれる一番大きな建物は
学校というより、立派なお寺のようです。
中には、孔子が祀られていていました。

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もちろん優秀な武士は頭脳だけでなく
体力も必要。

ここは水練に使われたプールのような池

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こちらは、資料館

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幕末・明治記念室には、戊辰戦争や白虎隊、そして会津藩の人たちの
その後に関する資料が展示されています。

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砲術場も復元されています。

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これだけ整った大規模な学校は、国内でも珍しかったそうです。

会津藩が地方でこれだけの高い教育水準を持つことができる
大きな藩であったことも改めて知ることができました。

それゆえに、薩摩や長州がその潜在的な力を認めたうえで
脅威と感じて、会津藩を攻め滅ぼさざるを得なかったのではないかと
私は思うのですが・・・

大河ドラマを見て、そして福島を訪ねて知ったのは、
日本が新しく生まれ変わった華々しく語られる「明治維新」は
会津の人たちの悲しい歴史の上に成り立っているということです。

福島も広い県なので、また桜の時期や
フルーツのおいしい季節に訪ねてみたいと思います。

福島の旅 おしまい


pc会津藩校 日新館
http://www.nisshinkan.jp/


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2013年6月30日 (日)

福島の旅5~鶴ヶ城~

福島の旅 つづきです。

今、最も旬なお城 鶴ヶ城へ。今回の旅のいちばんの目玉eye

P1060013s_2

史跡としては、地名の「若松城跡」と称されています。

1384年に葦名氏によって、この地に館が建てられたのがはじまり。
天守閣や城下町の整備に大きく関わったのは、
戦国時代に城主となった蒲生氏郷(がもううじさと)です。

その後、徳川家光の異母弟にあたる保科正之が藩主となり、
徳川家の子孫・松平家がお城を守ってきました。

しかし、幕末の戊辰戦争で新政府軍に攻められ
1ヶ月の籠城戦ののち降伏し、明治7年に荒れ果てた鶴ヶ城は
石垣の部分を残して取り壊されることとなります。

その後1965(昭和40)に天守閣が再建されました。

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徳川の三ツ葉葵の御紋にテンションあがりますup

しかし、20数年前に一度訪ねたことがありますが
こんなに大きなお城だったか記憶がさっぱりwobbly
(決して、酒蔵めぐりで酔っぱらっていたわけではありません)

観光案内所で、無料のボランティアガイドさんをお願いしました。
 ※来場者も多いので、ボランティアガイドさんも大忙しです。
  予約がオススメ

ガイドさんが案内してくださるのは、主に天守閣の外。

私が食いついたeyeのはこちら。

表門にあたる鉄門(くろがねもん)近くの石垣。

石の加工方法によって年代別に大きく3種類に分類されますが
(野面積み、打ち込み接ぎ、切り込み接ぎ)
この3つを近距離に見られる貴重な空間。

Isigaki_2

こちらが鉄門
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ずいぶんと建物がきれいでした。

2000年に写真左手の部分の南走長屋と干飯櫓(ほしいやぐら)が
復元され、
さらに、2011年には瓦をすべて赤瓦に葺き替える工事が行われました。
(普通の瓦と比べ、雪や寒さに強いとされるため)

どおりで私の記憶にこの景色がないわけですねcatface


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写真ではわかりにくいのですが、鶴ヶ城の屋根の上にはシャチがいます。
なんと名古屋城の金シャチならぬ銀シャチ

名古屋城のガイドさんが、
「名古屋城の築城主・家康に遠慮して、鶴ヶ城は銀なんです」と
おっしゃってましたが、鶴ヶ城でお聞きしたら・・・ホントでした。

でも、鶴ヶ城のシャチの目にはダイヤモンドが埋め込まれているそうで、
もしかしたら、こちらの方が高価かも~shine


かつては住居となる本丸御殿が立ち並んでいた場所は
緑の空間となっています。

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唯一、当時を残す建築として保存されているのが茶室・麟閣

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鶴ヶ城と茶道との関わりは大変深く、
豊臣秀吉から切腹を命じられた千利休亡き後、
藩主・蒲生氏郷が利休の子、少庵を会津にかくまいました。

氏郷は、千家の再興を申し出るなど尽力し、
少庵の子孫が興した三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)が
現在の茶道にも引き継がれているそうです。

その少庵が氏郷のために建てたのが この麟閣です。

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お茶のための櫓(茶壺櫓)まで備えていたという鶴ヶ城。
櫓の跡から茶室が見下ろせます。

中では、お抹茶とお菓子がいただけます。
椅子に座ってのカジュアル形式なので、作法がわからなくても安心happy01

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ガイドさんの案内は、この麟閣まで。約50分でした。
ガイド歴の長いベテランさんで、質問にも丁寧に答えてくださいました。

そして、いよいよ天守閣へ入場。

こちらも近年リニューアルされたばかりで、
内部は博物館になっています。
歴代城主などの解説パネルや武具などの展示、
戊辰戦争に関する展示など内容も盛りだくさん。

貴重な資料が多いので、一部の階を除いて撮影禁止。

というわけで、最上階からの眺めです。

天守閣から、南走長屋・干飯櫓に続く建物と町の景色

写真真ん中に長く伸びる廊下はギフトショップになっていて
地元の工芸品やキャラクター品など、気の利いたおみやげが
揃っています。

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じっくりおみやげを見ていたら閉館ギリギリにsad

というわけで、新しくできた南走長屋・干飯櫓は
ほとんど素通り状態となってしまったのでした~dash

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それにしても、予想よりもはるかに大きなお城で
会津藩が奥州で大きな力をもっていたことを改めて認識しました。

この鶴ヶ城の各所でも大河ドラマ「八重の桜」のロケが
行われたそうです。
そんな楽しい裏話も、マニアックな歴史のことも聞ける
ボランティアガイドさんの案内もオススメです。

福島の旅、まだ続きます(長っhappy02


pc鶴ヶ城(会津若松市観光公社)
http://www.tsurugajo.com/index.html


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2013年6月23日 (日)

福島の旅4~飯盛山~

福島の旅 つづきです。

いよいよ旅の本丸・会津若松のまちへ。

実は会津若松へは二度目となりますが
前回は、歴史オンチだった20年も前の若かりし頃でした。
鶴ヶ城だけちらりと見て、あとは酒蔵めぐりをして、
そのまま喜多方へラーメン食べに行きました・・・(爆)

というわけで、今回は歴史旅をまじめにしようと
向かった先は飯盛山

P1060007s

会津戦争の白虎隊の悲劇の舞台となった地です。
ここに行かずして会津の歴史は語れない!というわけ。

動く歩道(エスカレーター・有料)が整備されていました。

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でも、ちょっとお世話になるのは早い!と階段登りましたよshoe

階段を登り切った左手に
白虎隊十九士のお墓があります。

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白虎隊とは会津藩が年齢別に編成した部隊の中で
年齢16~17歳の男子を中心に結成されていました。

このうち、戸ノ口原の戦いに負けて、
ここ飯盛山にたどりついた二番隊の二十士が、
この地からお城から火の手が上がったように見えて
戦に負けたと思い込み自刃したという悲劇です。
(その後、一人は蘇生し、この悲劇を伝えたということです)

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3キロほど先にかすかに鶴ヶ城が見えました。
(写真ではよくわかりませんが・・・)

広場では演武も行われていました。

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白虎隊の歴史の地を訪ねた後は、
もうひとつ飯盛山で見たかったスポットへ。


国重要文化財  さざえ堂

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建造物好きとしては、「重要文化財」は外せませんwink

1796(寛永8)年にお寺の仏堂として建てられたもので、
外観は「日本版・ピサの斜塔」のような不安定さ。
内部は三層で、二重らせん状のスロープ(階段ではありません)になっていて、
上りと下りがすれ違うことなく、往復できるという不思議な構造。

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上りは時計回り、下りは反時計回りとなります。

ここを境界として反対方向に下ることになります。

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水の流れを分ける「分水嶺」のような感じ?

白虎隊よりも歴史の古いこの建物。一見の価値があります。


さざえ堂を見たあとに、もうひとつ白虎隊ゆかりの地。

白虎隊が戸ノ口の戦いから、ここの洞穴を通って
飯盛山に逃げ延びた 戸ノ口堰洞穴

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写真右上の洞穴を通って、ここ飯盛山に。

この他、飯盛山には白虎隊記念館もあります。
坂本龍馬と並んで、歴史好きの関心を集める白虎隊。

時間があれば、もっと地元の方々からのお話を
聞きたいところでしたが、
飯盛山をあとに、鶴ヶ城へ向います。


pc会津若松観光ナビ
http://www.aizukanko.com/


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2013年6月22日 (土)

福島の旅3~大内宿~

福島の旅 つづきです。

白河で宿泊し、2日目は大内宿へ。

古い町並の残る宿場町といえば、
中山道の妻籠・馬籠は良く知っていますが
関東から東北方面はほとんど未知の世界。

白河市内から車で1時間ほど。
(会津若松へも1時間ほどです)
人里離れた集落が現れます。

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大きな街道ではありませんでしたが
江戸時代には、会津と日光を結ぶ宿場町として
参勤交代の行列などが利用して栄えたそうです。

重要伝統建造物群保存地区として
妻籠宿などとほぼ同時期に指定されています。

独特な茅葺屋根は、白川郷を思わせます。
地元の方にお聞きしたら、毎年何軒かの葺き替えを
地域で協力して行うのだそうです。

日々生活されている住居でもある茅葺の建物では
軒先を利用したお店の形も独特で、
民芸品や雑貨を中心としたお店が立ち並んでいます。

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てっぺんのちっちゃな屋根は煙出し(煙突の役割)

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街並みの奥まで行き、観音堂まで階段を登ると

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すぐそばにある展望所から大内宿の絶景が眺められます。

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街並みの中央を通る歩道は舗装されてなく
江戸時代にタイムスリップしたような雰囲気。

お餅やお団子を焼くにおいに誘われ・・・

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小腹を満たした後は、
ネギをお箸替わりにして食べるという
名物のねぎそばをいただきました。

P1050967ss

こちらのお店、大和屋さんでいただきました。

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物珍しさで、ネギで食べてみましたが
1本しかありませんので、難しいったらありゃしない(笑)
味わって食べる余裕なんてまったくありません。

ということで、2~3回チャレンジしたあとは、
普通にお箸で食べながら、薬味としてネギを
かじってしまいました。

それにしても、このネギがかなり辛いっ

というわけで食後は、親切にいろいろと
この地域の歴史を教えてくださったお店で
梅アイスをいただき、さっぱり~(^^)v


ところで、ねぎそばは、こちらの三澤屋さんでは
「高遠そば」として提供されています。

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信州に近い地域の人間は、「あの高遠?」と思わず反応します。

それもそのはず、
高遠城主だった保科正之(二代将軍・徳川秀忠の三男)が
初代藩主として会津に迎えられたところから
職人などともに高遠のそば文化が伝わったと言われています。
(ねぎを箸替わりにするのは、この地での文化らしいです)

お腹もいっぱいになって、いよいよ会津若松へ。


pencil大内宿(観光協会オフィシャル)
http://ouchi-juku.com/


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pencil秋の妻籠散策 (2011.11) こちら

2013年6月16日 (日)

福島の旅1~白河小峰城~

昨年の岩手・宮城に続いて、今年は福島へ。

震災復興を旅で応援したいという気持ちと
大河ドラマの舞台へ行きたいという
2つの思いが重なって、今年は福島へ。

1日目は新白河駅に降り立ちました。

白河関まで足を伸ばす時間がなかったので
駅内にあった関所のモニュメントで「行った気分」にbleah

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観光用パンフレットもしっかりいただき
まず向かったのは名物の白河ラーメン

火風鼎(かふうてい)さんにて

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市内には100店ほどのラーメン店があるそうです。

地元の方に聞いたら、「ここ」と教えていただきました。
旨みがたっぷりながらも、あっさり醤油系スープは
私の好みの味heart02
燻した香りのする歯ごたえのあるチャーシューも
おいしかったです。

お腹を満たして、いざ白河小峰城へ。

14世紀ころにこの地に城が構えられ
1632(寛永9)年に初代白河藩主・丹羽長重によって
石垣がはりめぐらされた城郭に大改修されましたが、
戊辰戦争・白河口の戦いで落城しました。

立地的に白河の関に近く、奥州の玄関口を
守るお城だったのです。

美しくそびえるのは天守閣ではなく三重櫓(さんじゅうやぐら)

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しかしこの痛ましい姿crying

1990年代に木造で忠実に復元されているのですが
東日本大震災で石垣が170mにわたって崩れ、
現在は三重櫓に立ち入ることができません。

(三重櫓には大きな被害はありませんが・・・)

大変残念でしたが、公園内で見つけた柵囲いの中には、
石垣が復元に向けてきちんと並べられ、
番号がつけられていました。

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築城当時から残る石垣の大半は無事で
近年工事された場所が崩れているのだそう。

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300年以上前の先人の技術力に驚くばかりです。

隣接する白河集古苑では
この地のかつての名門・結城家と阿部家の
資料が展示されています。

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百名城スタンプもこちらでいただけます。

また、大河ドラマにちなんだ
八重に関する資料が特別展示されていました。

偶然にもこの日(6月10日)が、
大河ドラマではこの地が舞台になりました。
100日間にわたる攻防の末、
白河小峰城は落城したのです。

もう一度、深~く勉強して
復旧したお城を再び訪ねてみたいと思います。

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