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カテゴリー「├ おんな城主直虎(2017年)」の5件の記事

2017年5月29日 (月)

「直虎」ゆかりの地めぐり11~松下屋敷跡~

直虎ゆかりの地めぐり つづきです。

頭陀寺(ずだじ)に隣接した小さな公園

松下屋敷跡

P1030420s

P1030419s

松下家とは、戦国時代にこの周辺を治めていた国人領主。

その屋敷がここにあり、別名・頭陀寺城と呼ばれていました。

100m四方ほどの敷地は、堀で囲まれ
土塁が築かれていたようです。

小さいながらも「お城」の形をとっています。

P1030422s

15年ほど前に行われた発掘調査の結果
生活の跡がわかるような陶器類などが多数発掘されたとか・・・

しかし、お屋敷の中心だった場所は
南北に広い道路が通り、
さらに沿道は「かっぱ寿司」の店舗と広い駐車場になっています。

P1030424s

公園から東側を臨む

この道、よく通りますが、
そんな歴史を知ったのは、つい最近のことですwobbly

公園内の一角には石碑があり、少し小高くなっています。

P1030421s

このあたりは、屋敷の西北にあたる場所で、
土塁の跡が若干残っているようです。

かつては、松下稲荷がここにあったそうですが
現在、隣接する頭陀寺に祀られています。

ここが、「直虎」ゆかりの地である理由は・・・

直政(虎松)の母親が
松下家の一門である松下清景に嫁いだ(再婚)ことから
虎松も松下家の養子に入ります。

その後、徳川家康に取り立てられ、
井伊家再興を成し遂げていくこととなります。

また、「直虎」に関連してくるかは現在未定ですが
これより時代は遡って
この松下家の屋敷には、木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)が
当時の城主・松下加兵衛(之綱)に3年ほど仕えていました。

隣接する頭陀寺の資料館とあわせて見学すると、
歴史がよくわかると思います。

【ももよろず日記関連記事】

pencil頭陀寺の三公像(2017.5)






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2017年5月21日 (日)

「直虎」ゆかりの地めぐり10~頭陀寺~

3ヶ月ほど前に訪ねた「直虎ゆかりの地」です。

今年の「おんな城主 直虎」のゆかりの地は
浜松市といっても旧引佐町(現・北区)の史跡が多いのですが、
こちらはわが家からも近い同じ南区内にあります。

頭陀寺城跡

P1030418s

ここは、かつて地域の荘官であった松下家のお屋敷を中心に
塔頭など広い寺域をもったお寺があり、一帯は頭陀寺城とも
呼ばれていました。

その名残を残すお寺がこちらの頭陀寺(ずだじ)

正式名称は 青林山頭陀寺

真言宗の寺院です。

山門

P1030402

703年文武天皇の勅願により圓空上人が建立。

今川家の庇護のもとに繁栄しましたが、
今川氏の衰えとともに一度は衰退しかけたものの、
その後、豊臣秀吉や徳川家康との縁もあり
復興することとなります。

境内は自由に入ることができ、
山門のところに案内図が用意されています。

P1030405s

門をくぐってすぐに
願掛け三尊が迎えてくれます

P1030406s

左から弘法大師、水掛一願地蔵尊、浪切不動明王、

正面に本堂です

P1030408s

ここは、浜松市の中心からもほど近く
第二次世界大戦時の空襲でお寺の建物を焼失。
現在の建物は戦後に建立されたものです。

かつては、立派な三重の塔もそびえていたそうです。

ご本尊は薬師瑠璃光如来。

本堂内ご本尊右には弘法大師の木像が
安置されています。
幾多の火災や水害、戦災を逃れたことから、
難除大師として信仰されています。

本堂の奥に進みたいのですが、
行き方がわかりにくく、周辺をウロウロすること数分coldsweats02

やっと奥へ進む道へ出ることができました~

P1030409s

奥に見えるのは馬頭観音堂(ペットの納骨堂)

こういうことでした・・・(本堂を振り返ったところ)

P1030413s

本堂の階段を一度登って、ぐるりとまわればよかったんですね。
(普通の人は迷わない、かwobbly

元は隣接する松下屋敷にあったもので、
松下家の先祖応神天皇らが祀られています

新たにつくられた三公像

P1030412

豊臣秀吉、徳川家康、井伊直政が並んでいます。

三公像の記事は  こちら(頭陀寺の三公像)

再び境内入口近くに戻ると
歴史資料館があります。

P1030417s

(売店や御朱印・御守り授与所など併設)があります。

入館料は100円。

小さな建物ですが、地元の方たちの
手作り感が感じられる資料が並べられた資料館です。

P1030416s

(展示物は撮影禁止になっていますが、
 全体の雰囲気だけ許可をいただいて撮影・公開しています)

資料もわかりやすく作られていますが、
さらに、ボランティアの説明員の方がいらっしゃって
とても丁寧に説明してくださいました。

古地図を見ると、
この付近が砂洲が広がっていたことがわかります。
改めて自分の住んでいる地域の歴史を認識eye

また、展示資料中で最も多いが
豊臣秀吉(当時は藤吉郎ですが)の奉公時代。

浜松にいたことは歴史的にあまり知られていませんが
この地の荘官だった松下加兵衛に3年ほど奉公しています。

ここから秀吉の出世物語が始まっているんですね。

剣の練習をしていたことから片葉の葦や釜研ぎ池、
片目のメダカなど秀吉にまつわるエピソードが
この周辺にはいくつもあるんですよ。

さらにその奥の映像コーナーでは、
歴史学者として知られる磯田道史氏による
頭陀寺周辺を案内している様子を見ることができます。

小さいながらもぎっしり情報の詰まった
みごたえのある資料館でした。

御朱印はこちら

P_20170520_231934

ご朱印をいただくところに売っているオリジナルのお醤油

頭陀せうゆ

P_20170519_234402

瓶の形がハート型になっていて、おみやげにも喜ばれますね。

P_20170519_234430

実は、私もこれ、いただきものなのですpresent

つづいて、松下屋敷跡へ向かいます






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2017年4月27日 (木)

「直虎」ゆかりの地めぐり9~桶狭間から大樹寺へ~

「直虎」ゆかりの地めぐり つづきです。

「本家」争いimpactの続く2つの桶狭間古戦場を訪ねた後は、
国道1号線を東に向かいます。

ほぼ旧東海道と並行している国道1号線。
松平元康(のちの徳川家康)が、
今川家の人質から解放されて
出身地の岡崎に帰ったというルートに近い、はず。

敵(信長方)に見つからないよう
ひっそりと違うルートをたどったのかはわかりませんが・・・

道沿いの標識には、「大将ケ根」「戦人塚」といった
戦に関連していそうな地名がいくつか見られました。

さらに信号待ちで偶然撮ったこの写真

P_20170322_135933

なんと「(刈谷市)今川町」でした~ (今川氏と関係あるかは不明) 

そして、知立市に入ると見事な東海道の松並木が残っています。

P1100071s

そして、ほどなく岡崎市に入ります。

大樹寺に到着です。

P1100103s

お約束の「ビスタライン」を確認

P1100079s

総門越しに岡崎城が見えますeye

桶狭間から距離は約22km、順調に進めば40分ほどの道のり。

大河ドラマでは、
元康が桶狭間(正確には少し西の大高城)から
岡崎城に直接戻ったように描かれていましたが、

言い伝えでは、この大樹寺に逃げ帰ったものの
追っ手に取り囲まれた元康は先を悲観し、
先祖のお墓の前で自害しようとしたところを
住職に救われたという話も。

そのご先祖さまのお墓に行ってみることに。

本堂西側の墓地の突き当り(北)にあります。

P1100088s_2

松平八代墓

P1100089s

家康さんのご先祖なのに、こんなに自由に出入りできていいの?

P1100090s

P1100092s

松平八代プラス家康の石塔が建っています。

真ん中の大きい石塔は、この寺を建立した四代・親忠のもの

P1100093s

しかし、ご先祖さまよりはるかに大きい家康の石塔

P1100095s

これは、昭和になって地元の有志の方々が建立したものだそうです。
(建立の経緯や趣旨も案内板に説明されています)

家康の遺言では、「位牌をこの大樹寺に安置せよ」とのことで
有名な等身大の御位牌はこちらで見られます。

位牌堂

P1100104s

本堂にはご本尊・阿弥陀如来が祀られており
その両脇には、家康が再起するきっかけとなった

厭離穢土(おんりえど)
        欣求浄土(ごんぐじょうど)

が掲示されています。

P1100099s

本堂のご本尊は自由にお詣りできますが、
本堂内に拝観受付があり、位牌堂や壁画を展示する収蔵庫へは
拝観料が必要になります。

ご朱印もこの拝観受付でいただけます。

 前回(2015.7)の拝観記事はこちら

今回は、もうひとつ前回訪ねていなかったこちら

多宝塔(重要文化財)

P1100080s

こちらも境内西側、お墓の南にあります。

七代・松平清康の天文4(1535)年に建立されたものです。
家康のおじいちゃんに当たる方です。

P1100083s

一層は四角、二層は円形という造り。
小ぶりながらも、なんとなく落ち着いて安定したこの塔は、
この後、太平の世を築く家康を西から見守っていたのですね。

多宝塔は、家康のおじいちゃんが造りましたが

こちらは家康の孫、徳川三代・家光によって造られました。

大樹寺の山門

P1030637s

松平から徳川の時代にかけての
貴重な建造物が揃うことでも見ごたえのあるお寺です。

駐車場が境内東側にあるので、
松平家のお墓や多宝塔のある西側は、見逃してしまいがちですが
ぜひとも訪ねていただきたいです。





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2017年4月20日 (木)

「直虎」ゆかりの地めぐり8~2つの桶狭間古戦場・後編~

「直虎」ゆかりの地めぐり
2つの桶狭間古戦場 つづきです。

名古屋市の桶狭間古戦場公園を後にして、
向かったのは・・・

隣接する豊明市にある

桶狭間古戦場伝説地

P1100057s

前編の桶狭間古戦場公園から直線距離で約1Km弱。
(車で5分ほど)

石柱に記された漢字から古さが感じられます。

国指定史跡に指定され、この石柱ができたのは1941(昭和16)年とのこと。

案内表示によると、
今川義元、家臣の松井宗信などの塚があり、
1771年には石表が建てられたというので歴史は古いようです。

P1100045s

こちらは木々が多く、手入れの行き届いた庭園といった感じ。

P1100046s

この公園内をぐるりと囲むように 七石表(石碑)が建っています。

P1100055s

一号碑 

P1100047s_2

今川義元の戦死した場所を示す最も古い石碑だそうで
表面の文字はかなり読みにくくなっています。

今川義元のお墓

P1100052s

上記はいずれも道路沿い(西側)にあります

公園奥(東側)にも数本の石碑がありますが、
無名の武将のようで、よくわかりませんでしたweep

P1100059s

進軍ルートなどの案内板

P1100056s

ここにも案内図が用意されている(トイレ付近?)との表記がありましたが
いただいてくるのを忘れてしまいました。

 

一通りみても、所要15分くらいのこじんまりした公園です。

が、こちらのほうが「それっぽい」雰囲気が漂うのは気のせい?

というのも、この古戦場伝説地は隣が病院です。

P1100043s

きれいな病院に建て替えられているのですが、

20年ほど前の夜にここを通った時には
建物も古く、看板の雰囲気と相まって怖かったのですshock

「あ~、ここが有名な合戦場の跡なのね」と悟りました。

そして、最寄りの駅は中京競馬場駅。
合戦といえば、馬がつきものですが、それも関係あるかしらsign02

horsehorsehorsehorsehorse

名古屋市と豊明市にある2つの史跡は

最近、「本家」争いで対立しているようなニュースを目にしましたが

2つの史跡を比較すると

古戦場跡の「雰囲気」は豊明市の「伝説地」

一方で名古屋は、さすがに大都市。
公園の整備やホームページなど情報の充実度
知名度などは、一枚上手という感じです。

名鉄の駅からそれぞれ徒歩圏内ですし、
ぐるりと周遊すればウォーキングにも最適な距離だと思います。

ウォーキングしながら、この地で散った今川義元や
勝ち戦となった織田信長になりきるのもありですね。

しかし、私は、義元でも信長でもなく・・・

今川義元の討死により、人質から解放されたとはいえ
命からがら古巣へ戻ったといわれている
徳川家康の気持ちになってみようと岡崎へ向かいました。

horseじゃなくて、車rvcarですけど、ねcoldsweats01
(それに、帰る方向だしsign02

つづく

(豊明市)桶狭間古戦場伝説地

(名古屋市)桶狭間古戦場保存会

(名古屋市)名古屋に桶狭間あり。





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2017年4月17日 (月)

「直虎」ゆかりの地めぐり7~2つの桶狭間古戦場・前編~

「直虎」ゆかりの地めぐり つづきです。

今年の大河ドラマは地元・浜松市なので、
ゆかりの地めぐりも何度かに分けて、
時間をかけてゆっくり巡ることができます。

そんな中、初の県外進出dash

桶狭間古戦場

P1100020s

直虎には直接関係がありませんが
ドラマの中では、井伊家の大きな転機になった
桶狭間の戦い(1560年)impactのあった古戦場です。

当時、駿河、遠江から三河にかけて大きな勢力を誇った
今川義元が、少ない軍勢の織田信長に討たれた戦い。
この戦を機に、織田信長が天下統一に突っ走ります。

事前にリサーチしてみると、
古戦場としての観光スポットは、2ヶ所あるようです。

そもそも古戦場ですからピンポイントではなく
「この辺り一帯」というのが歴史的な限界かとcoldsweats02

最初に訪ねたのは名古屋市緑区にある

桶狭間古戦場公園

閑静な住宅街の一角にあり
近年整備されたと思われる開放的できれいな公園です。

今川義元と織田信長の像

P1100017s

あまり貫録のない若い織田信長といった感じです。
(浜松城の徳川家康像を彷彿とさせます)

公園なので、案内をする方がいるわけではありませんが
資料がこちらに用意されています。

P1100014s

(予約すればボランティアガイドさんが説明してくださるそうです)

すぐそばにある「ネズの木」は、
今川義元が馬をつなぐのに使用していたともいわれ、
触れると熱病に罹るという伝説があるそうです。(今は、枯れ木です)

P1100015s

今川義元の墓碑

P1100016s

大きなみどころは、石などで作られた地形のジオラマ

P1100022s

合戦の位置関係を石や池などで表しています。

大高城は、家康が兵糧を入れたお城
川(海?)の向こうには、熱田神宮の信長塀もあります。

P1100028s

P1100021s

とはいえ、看板だけではちょっと難しいかな~

やっぱり音声や映像が欲しいですね。

あるいは、大河ドラマで、「義元ナレ死」じゃなくて、
もうちょっと戦を描写してくれれば、これも楽しめたかも・・・

そして、この公園の周辺は「戦のみち」として
いくつかのスポットが点在しているようです。

P1100030s

すべて歩くことはムリでしたが、
看板に沿って、近そうなところへ行ってみました。

P1100031s

今川本陣跡があるというので行ってみると・・・

あまりにも普通の家の前でびっくりhappy02

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かつての古戦場は、
すっかり近代的な住宅街になっていたのでした。

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公園には駐車場はありませんのでご注意ください。

公園に隣接してホームセンターがあり、
そこでお買い物がてら、30分ほど停めさせていただきましたrvcar

続いては、市境を挟んで
もうひとつの古戦場スポットへ向かいます。

pc桶狭間の戦い(桶狭間古戦場保存会)



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